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COLUMN

AMERICAN BOOKS カリフォルニアを巡る物語
【Vol.30】『創造の狂気 ウォルト・ディズニー』×アナハイム

2017.05.27

アナハイムの広大な土地を、世界中の夢と希望で満ちあふれた王国に変えたウォルト・ディズニー。それ以来、西海岸とディズニーランドは切っても切れない間柄となった。史上最高のクリエイターとも称される彼はいかなる人生を送ったのだろうか? 彼の才能は天賦のものか、それとも努力の賜物か? 2006年ロサンゼルスタイムス出版賞伝記部門で大賞を受賞した本作。希代の実業家を突き動かしたものとは一体?


世界を変えた天才が抱え続けた抑えきれない創造への意欲との葛藤!
カリフォルニアは才能ある人々を惹きつけ、彼らをビッグにし、彼らがまたカリフォルニアをより魅力的にする。こうした相乗効果の極めつきといえば、ウォルト・ディズニーもその1人。そこで、今回は彼の伝記を読んでみた。

ウォルトはアメリカ中西部出身。少年期を過ごしたのはミズーリ州マーセリンという田舎町で、ディズニーランドのメインストリートUSAはこの町がモデルだ。カンザスシティで漫画家を目指していたが、アニメーターに転身。1923年にハリウッドに進出する。本書によれば、「彼ほどハリウッド向きの男性もいない」。映画のスタジオが大好きで、様々なスタジオをめぐり、セットの中を夜遅くまでさまよったという。やがて兄のロイとともにディズニー社を設立、ヒットアニメを次々に生み出す。初期の頃のスタジオはグリフィス公園近くのハイペリオン・アベニューに構え、’39年にはLA北東のバーバンクに移転している。『創造の狂気』という邦題の本書(原題は『Walt Disney』)、印象に残るのはウォルトの取り憑かれたような仕事ぶりだ。『白雪姫』のアイデアを最初にスタッフに披露したときは、自ら演技を交えて物語を語った。「白雪姫になり、時には意地悪な妃、七人のこびとになりきって、それぞれの声を使い分けた」(P224)。迫真の演技は3時間にも及び、スタッフはすっかり心を奪われたという。アニメーターとして成功してからは鉄道模型に熱中し、本物の鉄道を走らせることに夢中になった。そこからディズニーランドのコンセプトが生まれた。

こうしてウォルトはテーマパークの建設にのめりこむことになった。資金作りのためにはじめたテレビ番組『ディズニーランド』の素材探しを通じ、アドベンチャーランドやトゥモローランドのアイデアも膨らんでいく。建設場所はLAの南のオレンジカウンティが候補に挙がった。「降雨量が最も少なく、湿気もなく、この地域では温暖な場所とされている。そしてサンタアナ・フリーウェイに面していて、交通の便もよかった」(P440)からだという。最終的に選ばれたのが、アナハイムの約73万㎡の土地。'54年7月の着工から1年後の開園まで、ウォルトは全精力をこれに投入した。工事現場で労働者たちと一緒にホットドッグを食べ、開園直前の乗り物の試運転では、子供のようにはしゃいでいたという。その後のディズニーランドの成功と、今でも続く繁栄は、説明するまでもないだろう。

カリフォルニアとの関係を中心に紹介してきたが、作品を作り上げる苦闘や、ディズニー社の盛衰なども詳しく語られている。ディズニーのファンには必読の書だ。なぜ彼がこれだけのものを作り出せたのか。それは本書の次の一言に表れている気がする――「子どものような無邪気さでパークを体験できるウォルトの能力が、アトラクションをことさら魅力的にしたのかもしれない」(P467)

INFORMATION

●『創造の狂気 ウォルト・ディズニー』
ニール・ゲイブラー 著 中谷和男 訳
ダイヤモンド社
1900円

雑誌『Safari』7月号 P239掲載

文=上岡伸雄 text:Nobuo Kamioka

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